プロフィール | あとりえ絹月


はじめまして



ジュエリーの世界にふれた最初の記憶をたどってゆくと・・・


幼稚園に通っている頃の私が出てきます。
近所の子達に混じって、泥だらけになって遊ぶ私は、
まるで男の子。
そんな私の、おもちゃは怪獣やらミニカー。

でも、その年の誕生日
いつもと違うプレゼントをもらいました。
小さな箱の中に入っていたものは・・・?omoide.jpg

キラキラ光る赤い石が付いた指輪です。
この指輪は、その後、失くしてしまい、
存在自体を、長い間、忘れ去ってしまうのですが、
今では大切な指輪として、心の中で輝いてくれています。


プロフィール


502_prfIMG_3712.jpg名前 黒原みちこ

生まれた所 愛媛県
誕生日 7月14日

好きなもの 
 色とりどりなサファイヤ
 毎日食べたい、おにぎり
 可愛いカエル
 自転車で風になる瞬間
 光と緑を感じられる所


はじめまして

ジュエリーエヴァンジェリストの
黒原みちこです。

あなたご自身や、あなたの大切な誰かに、
言葉を越えた愛を贈るのに、ふさわしい器となる、
ジュエリーをデザインから創っています。


あなたは「エヴァンジェリスト」という言葉に、
ふれられた事はあるでしょうか?知らない方のために少しお話しすると、「エバンジェリスト」は「伝道者」です。
私は自分の体験を通して知った、
ジュエリーが持つ、楽しみ、喜び、すばらしい力を、
オーダーメイドやオリジナルのジュエリー、そしてイベント等、
あらゆる機会を通じて、お伝えする仕事をさせてもらっています。


◆原点

私の父は船乗りでした。
長い航海の後のお土産は、小さい私にはおもちゃ、
母にはジュエリーでした。
その父が病に倒れ、当時の医学では治る見込みが無く、
両親は、田舎で店を開き、療養しながら暮らしてゆく道を選択します。
店のオープン直前、父は他界しました。
そこから母が一人奮闘し、私と弟を育ててくれました。
元気で明るい母ですが、
どうしようもなく辛い状況の時、
父からもらったジュエリーの小箱をそっと開いて眺めていました。
その様子が、子供の私から見ても、美しく、
まるで元気な頃の父と母が穏やかに語り合っているように見えました。

この両親が見せてくれたものが、私のジュエリーの原点になりました。


◆それから

時は流れて大人になり社会人として働く私は、充実しているのですが、
何か満たされないものを感じていました。

そんな中、職場近くの彫金教室に通いはじめると、あまりの楽しさに、
次回の教室が待ちきれず、自宅でも作るようになりました。
そして、教室に新しく入会して来た、1つ年上の運命の女性と出会います。
彼女は最初から、
ジュエリーを仕事にしたい
そう言ってやって来ました。その言葉に、私も
「好きな事」=「ジュエリー」を仕事にして良いと、気付く事が出来たのです。
私達は意気投合し、半年後には、上京し、ルームメイトで、
ジュエリーの専門学校に進みました。昼間アルバイト、夜、専門学校の生活です。
卒業後は、昼間ジュエリー工房に勤め、
夜はデザイン研究所で学び、断続的にWAXの師匠の工房でも学びました。
深夜自宅に帰ってからジュエリー工房のお客様のオーダーの仕事をしていました。
デザインコンテストにチャレンジし賞をいただく等、充実の日々でした。


◆ジュエリーの素敵な力

良い時があれば、そうでない時もあり。
共に学んだり働いたりした人の中には、道半ばで去ってゆく人もいました。
私自身も、途中何度か挫折、そして離婚を経験し、すべてを失った時期があります。
けれど心の中に夢とジュエリーだけは輝いていました。

私がすべてを失った時、
母が1つのペンダントを送ってきてくれた事があります。
それは、かつて父が母にプレゼントしたジュエリーの1つを、リフォームしたものです。
母の誕生石はアメジスト。
紫の宝石が3つ付いたブローチでした。
金具が壊れてしまったので、私がデザインから担当し、
2つのペンダントに生まれ変わっていたうちの1つです。

この時、
母からの応援はもちろん、
姿は見えない父が、傍に来てくれているかのようでした。
誰かの幸せを願って贈られるジュエリーのすばらしい力を、
私自身が実感した出来事でした。
そして、大切なジュエリーが、
世代を超えて受け継がれてゆく喜びも感じたのです。
振り返って、
うれしい時は、一緒に輝いて、ピンチの時には、応援を届けてくれる。
そんなジュエリーを通じて父の存在を感じていたから、
母は強く優しかったのだとも分かりました。

内側に幸せを持つ人の周りに、強さと優しさが広がってゆくと、
世界は昨日よりちょっと良い方向へ向かってゆきます。
そんなジュエリーの素敵な力を、私は必要として下さる方に、伝えて、お届けしています。


◆夢

私には、いじめの体験があります。
丁度、母が、父のジュエリーをそっと眺めている頃です。
いじめられている自分が情けないし、母に心配もかけられないと思い、SOSを出せませんでした。けれど、小学生の私に、問題は大きく、
いじめは悪化の一方でした。
3年後、夜眠る時に、もうこのまま、目が覚めなければ良いのに・・・と思いはじめた頃、体の不調で、検査。結果、内臓の病気と判明し、
入院しました。

小児病棟の中、私のお気に入りの場所は、本や遊具のある談話室でした。
ある日、談話室は珍しく誰もおらず、テレビだけが付いています。
その中で報道された世界に、私は釘付けになりました。

・・・それはアジアのどこかの国の修道院。併設された孤児院には卒業生達がやってきます。
食べ物がある人は食べ物を、勉強が得意な人は勉強を、
義務や強制でなく、自発的にやって来ては在校生を応援しているのです・・・

いじめの渦中の私には、そこが天国に見えました。
「大人になったら、こんな暖かな応援があふれる世界を創りたい。」
泥沼のいじめの中から、私は輝く夢を受け取ったのです。

大人になってからのジュエリーの日々、
去って行った人
アーティストにとって、こんな仕組みがあったなら・・・という想い。
そして、子供の頃に見た孤児院。
すべてが重なった時、

お客様とアーティストが出会え、
自立と応援の喜びが行き交う「夢の場」を作りたいと
夢に形が出来ました。

現在、周りの方の応援や支えられ、私自身、
アーティストとして自立にチャレンジさせていただく
感謝の毎日です。


◆そして今

あなたの大切なジュエリーは輝いていますか?
あなたの夢や目標をジュエリーのデザインに出来たら、
どんな素敵な未来が動き出す事でしょう?

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掲載誌 

宝石の四季

受賞歴

1998年 フレッシュマンジュエリーデザインコンテスト 奨励賞

1999年 ワールドゴールドヴァーチュオーシュ ファイナリスト

1999年 フレッシュマンジュエリーデザインコンテスト入選

2000年 フレッシュマンジュエリーデザインコンテスト 優秀賞

2000年 サムスンインターナショナル

    ダイヤモンドジュエリーデザインアワード ブロンズ賞


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ジュエリーへの想い

ジュエリーもパソコンで作る時代になりました。
機械で作るジュエリーには
正確さやシャープさがあり、魅力的です。

でも、全部が機械作りになってしまうと・・・
なんだか寂しい気がします。

私は使う人に合わせた微妙な調整が出来、
ぬくもりの感じられる手作りの良さを、
出来るだけ残してゆけたらと思っています。
ジュエリーの原型となる、
手彫りワックスの勉強を、今も師匠について続けています。



人は自分自身やパートナーを大切に想う時、
プレゼントをしたくなるようです。

誰かのプレゼントになるジュエリーは
相談を受けて、ご一緒に考えながら作り上げてゆく工程の中で
難しい事が沢山あります。
でも、出来上がりを喜んで頂く瞬間に、
私も喜びのエネルギーに包まれて、
また次へと進ませてもらっています。




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